2010年11月23日火曜日

ブラジルの鉱業見通し

第二次産業

ブラジルは鉱物資源がとても豊富な国です。
およそ72種類の鉱物が産出されることで有名です。
特にブラジルの鉱業で、重要性を増しているのが、鉄鉱石です。
鉄鉱石の産出量は尖閣諸島問題で日本と軋轢が出てきている中国についで、世界第2位で、国内での鉄鋼生産が相当な規模にあるにもかかわらず、輸出余力が大きい点で注目されています。
中国や日本はブラジルに鉄鉱石を依存しています。
ブラジルで鉄鉱石の産出、輸出を担っているのがヴァーレであり、BHPビリトン、リオ・ティント、アングロ・アメリカンと並ぶ4大鉱物メジャーに成長を遂げました。
そのブラジルの鉄鋼生産量は、3,091万トンで世界第10位の規模を誇ります。1958年に設立されたウジミナスは、新日本製鉄からの技術供与を受けながら成長してきた。
スティール・パートナーズとの付き合いはどんな感じでしょうか。

ブラジルは、オイル・ショックの経験を糧に、石油輸入依存経済であった経済の改革投資を行ってきました。
2006年には、ブラジル経済は石油の自給の達成を宣言し、ついには、念願の石油の輸出ができるようになりました。
このことはペトロブラスを中心とする企業の大西洋沖合い(特に、リオデジャネイロ州沖合いのカンポス海域)における海底油田の探索の貢献が大きいでしょう。
カンポス海域の深海油田の海底は約2,000m以上で、ブラジルの石油生産の約7割を担っているようです。

それ以外の鉱物資源で、世界における埋蔵量のシェアの上位を並べるとニオブ (96.4%)、タンタル (46.5%)、グラファイト (28.3%)、スズ (12.4%) となる。また、マンガンやアルミニウム、ニッケル、マグネシウムなども豊富な埋蔵量を誇っています。
これからのブラジル鉱業の発展が楽しみです。

2010年11月9日火曜日

農業・食糧生産

1950年から2005年の55年間で、ブラジルの人口は5,100万人から1億8,000万人まで増えました。
この増加率は、毎年2%の人口増加で3倍になっています。
このような食料需要の増大を背景に、ブラジルは農業生産の増大のために、様々な政策を採ってきた。
「真正の緑の革命」と呼ばれる運動が展開され、農業ビジネス複合体の創出が可能となった。だが、農地の拡大は一方で、アマゾンを含む森林地帯の環境破壊をも容認したという負の側面もあった。

ブラジルの輸出品目の上位に入るものは、2006年現在では、大豆及び大豆関連製品(94.7億ドル)、食肉(86.4億ドル)、林産品(78.8億ドル)、砂糖・エタノール(77.7億ドル)と続く。輸出金額は、494.2億ドルに達し、ブラジルの輸出金額の36%を占める。

大豆に関して言えば、アメリカ合衆国に次ぐ生産量を誇る。この数字は、世界の生産量の約4分の1を担っている。最近15年間で生産量は3.5倍に拡大(1,539万トン⇒5,341万トン)となっており、耕地面積は、1990年には974万ヘクタールだったものが2005年には、2,273万ヘクタールに拡大しており、面積あたり生産性も1.5トン/ヘクタールから2.4トン/ヘクタールと大きく上昇した。主な生産地は、パラナ州、リオ・グランデ・ド・スル州、マット・グロッソ州、マト・グロッソ・ド・スル州である。

食肉に関して言えば、2006年時点でアメリカ合衆国に次ぐ第2位の牛肉生産量を誇る。欧米の牛海綿状脳症 (BSE) 発生により、ブラジルの食肉の輸出は大きく飛躍した。鶏肉は、アメリカ合衆国、中国に次ぐ第3位の生産量ながらも、輸出量に関しては、世界1位(世界シェアの40%)を占める。ブラジルの鶏肉生産の強みは、ヨーロッパ、アジアと異なり、生産地が鳥インフルエンザの被災地域よりも距離的に離れていること、伝播の原因の渡り鳥が主要生産地のブラジル中西部から南部にかけて渡来しないという点で強みを持っている。その中で中心的な役割を果たしているのが、JBS S.A.とブラジル・フーズである。牛肉加工で出発したJBSは、企業買収を実施することで、豚肉、鶏肉事業にも参入した。サディアとペルジゴンの経営統合によって誕生するブラジル・フーズは、世界の鶏肉貿易量の25%を扱う。

砂糖生産量が世界第1位(シェア20%)ということも今のブラジル経済を強靭にしている。サトウキビの生産量の3億8248万トンは、世界で第1位である。サンパウロ州を中心に栽培されるサトウキビは、肥料のみでの生育が可能である点、1つの苗で1年間に5回の収穫が可能であること、連作障害がないことも強みである。さらに、バイオマスエタノールに対して、世界的な需要が見込めることはブラジルの農業にとって追い風となっている。


林業

かつてのブラジルの林業は、ブラジルボクや天然ゴムの生産が中心であったが、近年は衰退。アマゾン川流域の天然林を資源とした木材生産が中心となっている。2005年のFAO調査によれば、木炭の年間生産量は8.8百万トンで世界1位、薪炭材生産量は138百万トンで世界第3位、丸太生産量は239百万トンで世界第4位となっている。1990年代以降、東南アジアなど他の木材生産国の多くが、合板など付加価値の高い商品の生産に注力したのに比べ、ブラジル国内の生産構造に変化は少ない。一方、林業経営以外でも農地開発などの森林伐採の需要は相当数存在し、年々、森林率は減少の一途を辿っている。

Agriculture_in_Brazil

ブラジルの産業

ブラジル経済で最も大きな比重を占めるのが65%を占めるサービス産業です。

続いて工業部門 (21%)、農業部門 (7%) となります。
しかし、9,700万人ほどの労働力人口の19%が農業に従事している点で特色がある。

GDP (2008年、名目) 1兆9940億ドル(第10位)
一人当たりGDP(2008年推定、PPP) 10,200ドル(第102位)
GDP成長率(2008年) 5.1%
部門別GDP(2008年推定 第一次産業 (6.7%)
第二次産業 (28.0%)
第三次産業 (65.3%)
インフレ率(2008年推定) 5.7%
貧困線未満の人口(2005年) 31%
家計収入あるいは消費における最上位/最下位パーセンタイルの割合(2007年) 最上位10%パーセンタイル: 1.1%
最下位10%パーセンタイル: 43%、
労働人口(2008年) 9,365万人
部門別労働人口(2003年 第一次産業 (20%)
第二次産業 (14%)
第三次産業 (66%)
失業率(2006年推定) 7.9%

2010年11月1日月曜日

ブラジルの歴史と今後の政策、見通し

ヒストリカル

ブラジルの歴史は500年前まで遡る、1500年代に、ポルトガルの植民地となって以来、1930年代後半までは、ブラジル経済は第一次産品の輸出に依存してきた。
1500年にインドを目指したペドロ・アルヴァレス・カブラルが南米大陸のブラジルを「発見」し、ポルトガルによるアメリカ大陸の植民地化が進んだ。
以後ブラジルは1516年にマデイラ諸島からサトウキビが持ち込まれたこともあり、黒人奴隷貿易によってアフリカから多くの人々がブラジルに連行され、奴隷制砂糖プランテーション農業を主産業とする植民地となった。
ブラジルはポルトガルに富をもたらすと同時にブラジルそのものの従属と低開発が決定づけられ、ポルトガルにもたらされた富はイギリスやオランダなどヨーロッパの先進国に流出し、イスパノアメリカの金銀と共に資本の本源的蓄積過程の原初を担った。
一方、1509年のディウ沖海戦で勝利し、インド洋の制海権を確保してマラッカ、ホルムズと更に東進したポルトガル人は、1541年~1543年には日本へもやってきた。
ポルトガル人の到達をきっかけに日本では南蛮貿易が始まり、織田信長などの有力大名の保護もあって南蛮文化が栄えた。さらに、1557年には明からマカオの居留権を得た。
ポルトガルは、自らの帝国主義政策に基づき、ブラジルを原料供給地と位置づけていた。

統計を見る限り、ブラジル経済は安定的に成長したとは到底言い得ない。1947年以降、1人辺りのGDPは伸びてはいるが、1995年時点では、4,630ドルに過ぎなかった。1968年から1973年にかけて、「ブラジルの奇跡」と呼ばれる高度経済成長を達成したが、第一次オイル・ショックによって、外貨準備は払底し、常に、累積債務問題がブラジル経済の足枷になってきた。毎月、数百パーセントのインフレーションは当然であったし、貧困層の人口は鋭角的に増えた。北東地方のみならず、大都市圏ではスラム街が形成されていった。

2008年現在、BRICsの一角にまで、ブラジル経済を変貌させたのは、2003年に大統領に就任したルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァの存在が大きい。

ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ(Luiz Inácio "Lula" da Silva, 1945年10月27日 - )は、ブラジルの左翼政治家、第35代大統領(在任:2003年 -)。通称ルーラまたはルラで、日本のマスコミではルラと表記されることが多い。

労働党時代のルーラはサンパウロ州サン・ベルナルド・ド・カンポ(São Bernardo do Campo)およびヂアデマ(Diadema)の鉄鋼労働者組合の長(president)に任命される。1978年にも再選され、その任期中に彼は軍事政権時代長きにわたって行われてこなかった、大規模なストライキを含む主要な組合行動を組織する。

社会政策としては「飢餓ゼロ計画」を立ち上げ、貧困層への支援を積極的に行っている。その一環として2003年、貧困層への家族手当である「ボルサ・ファミリア」を創設した。これは「ボルサ・エスコラ」(学童基金)・食糧補助・ガス助成金・食糧カードといった4つの公的扶助制度を統合したもので、月間所得が50レアル以下(16歳以下の通学中の子供がいる場合は100レアル以下)の貧困世帯に対し1ヶ月50レアル、通学中の子供1人につき15レアルの家族手当を支給する制度である。「飢餓ゼロ計画」では他に廉価で食事を提供する「大衆レストラン」の設置や食糧配給なども実施されている。また、貧困対策としては最低賃金の引き上げも実行した。
経済効果

労働者党出身とはいえ、急進的な左派路線は採らず、基本的には現実的な経済政策を採っている。2002年の大統領選挙では、過去の大統領選におけるルーラの左翼的な主張から市場に警戒感が広がり、対ドル市場ではレアル安が進んだ。しかし政権が発足するとルーラは公務員年金改革による財政支出の削減などを行い、カルドーゾ政権の財政健全化路線を踏襲したため、その懸念を払拭した。実際、IMFの目標値を超える財政黒字を達成し、2009年にはIMFに対する純債権国となっている。また、インフレ抑制にも成功している。